電車にて。


「12才の頃 野球選手になりたかった
今でも夢にみるさ マウンドにあがってる
夢の中ではいつもヒーローさ
やせっぽちのくせに不思議とヒーローさ」

 

朝の出勤途中、眠い目をこすりながら、

いつものようにイヤホンを耳につっこんでいたら、偶然流れた歌の歌詞である。

 

 

自分が12歳の頃、、、

何になりたかったかなぁと思い出す。


。。。


一向に思い出せない。

 

 


一番最初に夢を持ったのは…
確か幼稚園の頃。

パン屋さんになりたかった。


しかし、何を思ったか、当時の私、幼稚園児ながらに稚拙な頭をひねって考える。
マヨネーズを使ったパンの試食ができないし、早起きも苦手じゃん!


結果、すんなり諦めたのである。諦めが良いというのか、現実的というのか、何とも歯切れの悪い思いである。

 

 

 

次に覚えてるのは官僚。
これは中学生の頃。


これがまた不純な動機で、
「日本」で一番えらいのが官僚で、
「官僚になれば誰よりも偉い」
と思っていたからである。


何ともスレているし生意気な野郎である。
ぜひ、一度お目にかかって根性を叩き直してみたい。

 

 

 

 

お次は塾講師。
あまりに授業料が高いから、
人気講師になれば超儲かるじゃん!
と思ったわけである。


もう、ここまでくると一周回って何も言えない。

 

 

今から思い返せば、

当時の私は周りの人が羨ましかった。

「野球選手」やら「サッカー選手」やらと

大声で言ったり、卒業文集に書いてる人が羨ましくてしょうがなかったのである。
私はビビっていたのだ。

もちろん、真剣に考えていたし、今まで書いた夢を誇りに思っていた。

でも、心のどこかで夢のまた夢のような夢を言うことに畏れていたのだ。

 


「だけど 8回の裏
投げ方を忘れてマウンドを降ろされる
やりきれぬ笑いばなしさ
かなしい夢さ」


歌の続きはこのようである。
「マウンドを降ろされる」
心臓あたりで何かグサッと音がした。
あぁ、そうか、私はマウンドを降ろされることを畏れてマウンドにさえ立っていなかったのか。


でも、気づくのが遅かったからと悲観することは無い。尊敬する中島みゆき氏(これ以降の文章ではみゆきさんとする)の言葉を借りて調合し特効薬を作ったからである。こじつけではあるが、私が納得するのだから良いのである。


「私がマウンドを降りるのは、墓場に入るときです」

 

 

プシューと音がした。
見上げれば、降車駅だった。