鴨川
「滋賀何があるん」
「琵琶湖!」
「琵琶湖以外は?」
「、、、」
という風に毎回ぐうの音も出なくなる「シガハラ」を受けている滋賀出身の私はとりわけ「京都びいき」である。
別に京都に借りた恩も無いし、京都を宣伝してもびた一文すら入ってくる訳でも無いのだが、事あるごとに「京都はええですよ〜」と嬉しそうに話してしまうのである。私が犬か何かなら、尻尾の一本や二本、振りまくっていることだろう。
そんな私が愛してやまないのが
「鴨川」
である。
言わずとしれた京都の川である。
もう風情が滲み出ているのだ。
現代に清少納言が生きていたならば、
「あけぼの」やら「つとめて」やら言わず、
春夏秋冬全て「鴨川」であっただろう。
春は鴨川。自転車で川沿いを走っていると道に乗り出すように満開に桜が咲き、木の麓では花見客が楽しそうに飲み交わしている。酔っ払いがひとりふたりとベンチで寝ているのもおもしろい。
夏も鴨川。料理店や茶屋が川に面する座敷を作り、料理を提供する「ゆか」の灯りがこれまた心地よい。暑くて虫が飛んでくるから、そんなええもんでもないよ、と聞いたことがあるが、行ってみないことには分からない。しばらくは謎のままである。
秋もやっぱり鴨川。少し肌寒くなりかけの哀愁漂う感じが何とも言えない。夕方なんぞに自転車で走ると部活動をやっている子の服装でこれまた秋の訪れを感じる。
くどいが冬も鴨川。正直自転車で走るのはオススメしない。寒すぎる。しかし、花火をやるのにはもってこいだ。というのは冗談で、数年前、仲間内8人ほどでふるえながら鴨川のほとりに立ち、抱負を叫びながら手持ち花火を咲かせたのである。無論、風邪をひいた。阿呆である。
と、まあこんなものであろうか。
途中まで割と平安女流作家の気分で書いていたが蓋を開けてみれば、半分ほど私のちょろけ話だ。途中から面倒くさくなって、ちょけるのは私の癖である。その辺は見逃してほしい。
そんな風に鴨川の虜な私であるが、
鴨川との出会いを思い返した時、
なぜか浮かんできたのが
とある中華料理屋なのである。
あれは6歳くらいの頃。
みんなでお出かけ。
目的地は京の町並みに溶け込んだ中華料理屋。
そこに行くには鴨川を渡らねばならない。
そのために橋を渡らねばならないのだが、
その橋っちゅうもんが、
点字ブロック二列ほどの幅で、
石畳に使いそうな石で出来た橋なのである。
橋の長さは10メートルも無かった。
ちょっとドキドキしながら渡ったのを
覚えている。
ここで、ある矛盾に気づく。
鴨川の幅が10メートルやそこらのはずがないのだ。鴨川の上流の方ならまだしも、所狭しと店が並ぶのは、三条や四条あたりであろう。
京都に詳しい人なら分かると思うが、
三条や四条にあるのは立派な橋ばかりで、
「6歳の私が渡った橋」など万が一にも無いのだ。
みなさんもお分かりだろうが、
今思うに、あれは「鴨川」では無かったのだ。
きっと京都にあるちっぽけな川なのであろう。
でも、私にとっては
あの幻の中華料理屋を思い出す
大事な鍵なのである。
さて。
話は幻の中華料理屋へと移る。
幼い私に衝撃を与えた店である。
そして私に衝撃を与えたのが
「透明の大学芋」である。
普通の大学芋は黄色い蜜がかかっている。
しかし、そこの蜜は透明。
そう、水あめなのである。
水あめが垂れるのを「おっとっと」と注意しながら、ポンと口の中にほりこむのが本当に美味しいのである。
一口目から私はあの大学芋の虜になった。
それから私は数多くの大学芋を食べてきたが
あの大学芋を超える大学芋に
出会ったことがない。
子どものころの記憶なんて
きっと半分くらい脚色されている。
大きいなぁと思っていたものも大人になれば「ちっちゃ!」となることからも容易く想像できる。
「6歳の私が渡った橋」も「6歳の私が食べた幻の大学芋」も今見れば、大したことないのかもしれない。真偽のほどは訪ねていけば分かるに違いない。いつかきっと。
追記:大学芋情報。水あめでコーティングされていて、出てきた時はまだ温かい。芋と芋とを離そうとすると飴が糸のようにピューっと伸びてパリパリに固まるらしい。出てきてしばらく時間が経つと周りがパリパリになって美味しいらしい。やっぱり大人と子どもではこれほどの違いがあるのか。